Report-001 of kawani@koganei

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画材研究助成報告書     

(これは1994年に「日本児童教育振興財団」に提出したリポートです。)

 1987年から1994年までの7年間「日本児童教育振興財団」の助成を得て「川仁俊恵 幼児児童絵画教室(西田幼稚園内)」の子どもたちがドイツのストックマー社*のクレヨンや水彩絵の具を使って絵を描いたり工作をしたりしてきました。また同財団から当時東京で手に入れることの出来る「世界各国の画材43種類」を提供していただき1994年5月から3ヶ月間にこれらを使ってこどもたちが制作をしました。
1994年度で助成が終わるに当たり、子どもの絵や工作を通して画材が子どもの感性にどんな風に働きかけたかを報告いたします。

〈はじめに〉
 ストックマーの画材との出会いは私とこどもたちとの関係にあらたな転機をもたらしました。ふりかえってみるとずいぶん長い年月こどもの絵とかかわってきました。その間こだわっていたことの一つがこどもたちに適切な画材を与えることでした。与えると言う言葉も納得行くものではありませんが、ここでは私の考え方を述べていくよりも、ストックマーの画材を使っていくなかで具体的に起こったことや変化したことについて述べ、画材の報告をいたします。                           
 はじめて小学館教育事業室で田中真理子さんからこの画材を受け取って見たとき体の器官にしみてくるようなクレヨンの色の配列を忘れることができません。シュタイナーの学校で使っているストックマーのクレヨンについては、子安美智子さんの「ミュンヘンの小学生」を読んで知っていましたが、手に取ってみるのは初めてでした。当時私は小学館から歩いて10分程の所に住んでおりました。駆けるようにして家に帰りさっそく使ってみてこのクレヨンと絵の具のとりこになりました。その頃そろそろ打ち切りにしたいと思っていた絵画教室でしたが、こどもたちとこの画材を使ってみたいと強く思いました。
 現在、教室に新しいこどもたちが入ってくると新しいストックマーのクレヨン1揃いを渡します。この配列のままで見て欲しいからです。この配列をはじめて見ることに深い意味を感じているからです.1987年度の教室から今までこのストックマーの画材を使ってきましたが、シュタイナーの方法にしたがっているというのではなく、秀れた画材として自由に使って来ました。こどもたちが描く行為のなかに沈潜していくのを見るたびにこの画材との出会いをつくってくださり、これを使い続けて行くことを支援してくださった「財団」に感謝しています。これから例を挙げてこの画材によってこどもたちに起こったこと、子ども達が変わっていったことの経過を報告いたします。

〈画材が引き出すイメージ〉
 1年生の2学期の終わりに埼玉県へ引っ越して行った藍ちゃんは今2年生です。教室に来たての頃は感情表現が屈折していてめったに笑わず、意識的に口を閉ざしているようなところがあり、なかなか感情をストレートに現すことはありませんでした。描いているものもはやりのキャラクターや花の形などちいさく窮屈なものでした。絵は大好きで没頭しますが絵が好きだという子供によくある、形や説明にこだわるなどの小さな部分で描くことを楽しんでいました。しかしその小さな部分の慈しむような色彩はとてもきれいで、なかなか見せない藍ちゃんの豊かな感性をにじませていました。「きれいな色だね。わたしもこの洋服着てみたいな」といっても藍ちゃんはだまっていますが、藍ちゃんの小さな躰にうれしさがあふれています。「せんせい、この色どうやってつくったか、おしえてあげようか」そういって小さく切った画用紙にパレットの上で丹念に混ぜ合せた色を出してみせてくれます。絵を描き上げるたびにどの色を作って欲しいかと私に聞きます。藍ちゃんが何週も何週も色作りを続けていると教室の女の子のあいだで色作りがはやりました。そうしているうちに藍ちゃんはとてもおしゃべりになり、どの色とどの色を混ぜ合わせたらできた、などと饒舌に話すようになりました。描く絵も伸びやかに自由になっていきました。年長組になった夏休みに大分のおばあちゃんのところに行きました。帰ってからのことです、画用紙にオレンジ色を塗りたくりながら「おおいたのゆうひ」と叫んでいます。こどもが絵を描くときいつも自分の中にすでにあるイメージを表現していくというわけではありません。思うままに発した単語が言葉になり、その言葉から思考が生まれていくように、現れたストロークやマッスからイメージが組み立てられていくことがしばしばあります。そしてそのイメージにむかって気持ちを集中していきます。藍ちゃんはそれから度々オレンジ色の混色で「おおいたのゆうひ」を描きました。ストックマーの混色は「おおいたのゆうひ」のイメージを裏切らないから藍ちゃんのイメージはどんどん成長します。「きれいだね!」と私はうなってしまいます。それからきれいな絵をどんどん描き続けました。引っ越して行くときとても悲しそうでした。
「おひっこししたくない」という藍ちゃんに「せんせいに“しんごう”おくってね、おてがみかかなくてもいつでもどこからでも“しんごう”おくればとどくから、せんせいも“しんごう”おくるから」と約束しました。私は藍ちゃんの絵をよく思い出しています。そこで終わりにしなければならなかった教室だから、なおさら藍ちゃんの体のなかには「大分の夕日」とストックマーの絵具の色が深くしっかりとしまわれていると思います。

〈欲望を満たす画材〉
 勇くんは細くて華奢な体つきですが敏捷によく動き回り、なかなか落ち着いていません。喋るよりも先に手が出ます。協調することが出来ないので友達もできません。弟に手がかかるからと3才児で入園しました。一年間大変苦労した担任の先生の勧めで絵の教室に入りました。グループで絵具を使ったりするときには「ゆうくんとはいや」とたいていいわれてしまいます。したがって幼稚園でも家庭でも「‥・してはだめ」という禁止ばかりが多くなってしまっていました。「ゆうきくんこの広いところで、絵具ぜ−んぶ、一人で使って描いていいよ。」というと、椅子の上に立ち上がってビンの絵の具を降らせました。
「いけないんだよ、ゆうきくん。い−けないんだ♪いけないんだ♪」とこどもたちは合唱します。でも私は「勇くん、絵の具の雨は画用紙の上に降らせてください。画用紙いっぱいつなぎますよ。」と励ましました。「きれいな水たまりができたね。」というと疑わしそうな目でわたしを見ています。「長靴はいてこの中に入ろうかな」と私。われ関せずのこどももいれば、勇くんの周りに寄って来て一緒になって始める付和雷同型のこどももいます。絵が終わればビンの絵の具を洗い場に流して色遊びをします。お母さんが見ていれば悲鳴をあげそうな光景が三週間ほど続きました(教室は週一回です)。その間毎週こどももたちが教室のどこかで「かわった、かわった」と叫ぶのを聞きました。画用紙の上や流しの中で絵の具が混ざり合って変化していくのを見て叫んでいるのです。この声を聞いてわたしは安心して色遊びを見ています。こどもたちは色が変わっていくありさまを自分の体の内でとらえているのです。お迎えにみえてこの様子を見て「先生うちの子落ち着きがないから落ち着いている子と一緒にしてくださった方がいいと思います」と勇くんと一緒なのは迷惑だといわんばかりのお母さんもいます。「元気でいいわ」といっているお母さんも本音で言っているのではないことがわかります。勇くんのお母さんはいつも堅い表情です。他のお母さんたちへの防備の姿勢です。わたしは勇くんのお母さんに話しかけます。「お母さんは勇くのこと大変だと思っているでしょ、でも大変だな、困ったなと思う所が必ず勇くんの長所なんですよ。」「勇くん見たら、あんなこと、してもいいんだなって、手も足も出なかった消極的なこどもも一緒になって始めるんです。勇くんは友だちに勇気をあげているんですよ。」と私は迷うことなくお母さんに言います。「大丈夫、やりたいことをやってるんですもの、あのエネルギーはすごい、やりたいことやっているのは見ていて気持ちいいですよ。」勇くんと同じように疑わしげなお母さんの表情も少しずつ和らいでいきました。ひと月が経ち、6月初めの週に勇くんが「きのう川にいった」というなり筆をとりました。昨日見てきた川を描こうとしています。鮮やかなウルトラマリンのストロークが画用紙を横切り晴れ晴れとしています。「かわだ、かわだ」と言っています。白が混ざり緑が混ざり、あっ!川の色だと思ったとき今度は混色がおもしろくなりました。バシャバシャと絵の具を飛び散らせながら川の音を聴き、入ってはいけなかった川に入り、さっきの喧嘩のうっぷんも晴らしてしまっています。見ている方も「やってる、やってる、気持ちいいぞ」と思ってうれしくなります。たった10分のあいだのことですがこの10分は今までの10分とは違って勇くんは自分と話をしています。こうしたことが出来るのには画材の力ということを考えない訳にはいきません。この画材の目を見張る透明なきれいさが、こんなに短期間に勇くんが自分のイメージを、描くという行為のなかで組み立て、切り開き、再構築していくことを可能にしたのです。こどもたちの声の色、目の色、体温が色彩となって隣り合う色を引き立てあい、相殺しあい、響きあいながら空気を動かし信号を送ってきます。SOSだったり、歓喜の声だったり信号はさまざまです。一人一人のこどもたちについてお話ししたいくらいですが別の機会にいたします。

〈色彩の体験〉
 次にこの画材が、「テーマ」をもちながらみんなで進める作業の幅を、楽しく大きく広げることについて報告いたします。毎週必ず幼児たちがしている遊びに「色水作り」があります。描き終わったと思うと「おてつだいする」といってビンに作った絵具を流し始めます。だれかしらが流しの前で絵具を流して色水を作っています。「あっ、へんないろ!、あっ、きれい!」「うみのいろ!」「せんせい、血みたい!」こんな声が絶え間なく聞こえていました。
年中児クラスで色遊びをすることにした時のことです。ウルトラマリンとイエローウの絵の具を使いました。
水をためた容器にそれぞれの絵の具を入れて青い水と黄色の水を作りました。12人のうちの6人は青い水をビンに入れ、あとの6人は黄色の水をビンに入れました。さあ合体です。「あっ、かわった!」「みどりになった!」ビンの中は鮮やか緑色です。こどもたちのこの一瞬の驚きが歓びとなり「あっ!」といっている間にだれかが次の色を加えます。今度はあたらしいビンにあたらしい色。色彩がこんなふうに群やかに変わっていくさまを見るのは多分初めてでしょう。きれいにできた色のビンをオルガンの上に並べました。
つぎは絵の具と筆をつかって同じように色を作りました。ウルトラマリンとカーマインです。あのいつもの色遊びからは想像できない慎重で真剣な様子です。途中からほかの色も欲しくなって絵を描き始めていましたが、変化していく美しい色は子供たちの気持ちをじわっと包んでいるように集中した時間でした。不思議なことがある、驚くことがあるのはなんとしあわせなことでしょう。青色と黄色を混ぜ合わせれば緑になるということを知識として知ってしまってからでは決して得られないしあわせな時間を体験したことと思います。

〈作業からイメージへ イメージから思考へ〉
 5年前の秋頃から年長児は、ブロッククレヨンを使って数のカードをつくっています。算数は得意だろうと思っていた敦くんが、2年生の2学期から算数がわからなくなり、学校も嫌いになったと相談を受けました。算数のことなど何も聴かなかったことにして、数のカ−ドを作りました。遠山啓氏のタイルにヒント得ているのですが、あくまでもカードを作ることを目的にして、絵を描いたり工作したりするように作業を進めていきました。この数のカードの作り方、使い方については省きますが、そのようなときブロッククレヨンが活躍するのです。10㎝角の1つ、2つ、3つ、5つの単位に切ったシナベニヤにブロッククレヨンで色を塗ります。ちからがいります。丁寧に塗り込めれば蜜蝋のクレヨンはピカピカにひかります。手を動かし持続的な作業に没頭する中で数が実感され、それによって想像力が高められ想像力は思考力を育てていきます。敦くんはもう中学生ですが6年生の頃には「算数は得意中」と言っていました。これらはこの画材との出会いがもたらしてくれたことの一部です。

 〈世界各国の画材43種類についての報告〉
 5月の初めの週に、世界各国の画材43種類を使ってみました。こどもたちがこんなにたくさんの種類の画材を一度に見ることは初めての経験です。私ですらわくわくしているのですから、こどもたちがわくわくするのは、当然のことです。レストランでショウウィンドウの好きな料理を選ぶときや、おもちゃを奪い合うときのように、眼をきらきら輝かせています。それぞれが使ってみたいものを選べるたくさんの種類と、好奇心を誘うパッケージの華やかなバラエティはこどもたちにとってとても幸せなことでした。一つのものを奪い合うようなことは全くなく、散々迷って決めかねても選ぶものが無くなってしまうようなことはありません。はじめて使った日には幼児から画材そのものについての感想はほとんどありませんでしたが、いつもよりずっと長い時間絵にむかっていたのは十分に満足していたからに違いありません。小学生は使いながらいろいろな感想を遠慮なく言い合っていました。
 2週目からは棚に画材を並べておきました。はじめての時のような興奮はもちろんありませんが、今でもおもいおもいの画材を取り出して使っています。こうして現在まで、いつも使っているストックマーの画材と併せて使ってみた結果を報告いたします。全体からいえば食べ物の味や口あたり、衣類の感触や色に好みがあるように、画材に対しても様々な強い好みを示しました。そしてとくに手に伝わる感触が好き嫌いを左右しているように思えました。この3カ月間に使った画材を表にしました。