Gallery-21 of kawani@koganei


展示 No 21

「睡蓮の時」 ー 1994年 酷暑の時

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『睡蓮の時』 The Time of Waterlilies 19cm x 28cm
紙に水彩絵の具


十月に入っても、サルスベリの梢には戦い疲れた兵士のような花房が幾つも残っている。夏の間、何処のサルスベリも炎暑の中で狂ったように咲き続けていた.おもえば、異常な真の予兆はいくつもあったような気がする。

2月21日朝から激しく降り続いた雨が夕方近くなって止み、上空には風だけが残った。瞬間最大風速27・8メートル、雲は北東に向かって激しく動いていた。アトリエにいたわたしは、母屋の二階に忘れたノートを取るために階段を駆け上った。大きく開いたベランダから飛び込んで来たのは燦然と輝く雲海であった。何故! 雲はベランダまでも覆い尽くしてしまいそうに見えた.西南に広がる雲海、遠くゆっくりと白帆が滑って行く.樹木に突き当たるのだろうか千切れて飛び散る雲を、岸壁に砕ける波のように見ながら自分の位置さえも失ってしまうように見入っていた.セント・アイヴィスの海! 見たことのない海が広がる。南に目を移すとモウヴにミルクをまぜたような渚にオレンジの光が届き渚を霧が薄く覆っている。セント・アイヴィスの海は無くなってしまわないだろうか、西に眼を戻すと光と影が織り成す入江の岸壁に向かって、埋没している記憶を通り抜けもっと遥かにたどるような速度で海面は光を跳ね上げながら動いていた。

いつもの景色を捜すと西は丹沢連峰まで南は多摩丘陵までの見慣れた風景がその存在を希薄にして真下に横たわっていた。激しく動く雲の聞から、太陽の光が差し始めちょうど金環食のように光の輪郭を見せて追って来た。セント・アイヴィスが衰退して消えゆく様を見たくない気持と、少しの恐怖から追って来る夕日に押し出されるように後ろ向きのまま階段を降りてしまった。

夏の間、熱帯の国々を思うような厚い積雲の塊が何度となく現れていた。

 五月から六月にかけて植物の成長は異常だった。いつもならわたし一人の手に負える程の小さな庭に、圧倒するばかりに草木が伸び茂った。土手の木は道に向かって枝を伸ばし坂を上って来る車の屋根をキシキシと擦った。つる草は一日で枝に巻き付き垂れ下がった伐らなければならない。伐られる植物の痛さをおもって竣巡した。梅雨に入ってから、雨はかえって少なく益々伸びた枝は程よい湿り気を持っていた.




念入りに研いだ刈り込み鋏は97センチの長柄で最も効率よく思えた。鋭角に鉄を入れれば直径3センチ以上の枝もサクッと伐れた.刃物の快感と伐ってしまう切なさが脊髄の中できりきりと結ばれ杭のような形となり、草や枝やその向こうの雲の間に飛び散って行くような気がした。半日で伐り落とした枝を2、3日かけて70センチ程にして束ね、塵芥集荷所に埋葬した。これを憑かれたように繰り返して土手が痛々しく無残になったころに夏は佳境に入っていった。

7月2日、突然暑くなり3日には36度を記録した。

6月22日、庭のほぼ中央に埋めてある水瓶に、ひと月をかけて探した赤い睡蓮を入れた。この日、赤トンボが来た。猛暑が続いていた。

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『朝日』 The Morning Sun 19x28cm
紙に水彩絵の具


7月6日、睡蓮が初めての花を咲かせた。コンパスを使って描きたいような正確な幾何学的造形、かさかさと乾いたような花弁。真上から見る睡蓮の展開図。午後になって、突然声が出なくなった。これだけ木を切り刻んでしまったのだから仕方がないと思ていた。
12日朝4時、二つ目の睡蓮が開くのを見た。
14日、かすれた声が出るようになって、喉の痛さが増した。
16日、鮮やかな青筋アゲハが芭蕉の葉の間を通って行った。
午後雷が鳴って大雨になった。
17日、雨が上がった。切り落とした枝に若いシオカラトンボが止まってじっと動かない。じりじりと日が照りつけている。8月の半ば過ぎまでほとんど35度以上の日が続いた。

8月17日、空気が乾いて来た。六つ目の睡蓮が咲く。花弁のカーマインがヒリヒリと喉に滲みて痛い。咲いてから三日目も唾蓮は辛うじて開いていた。
昼には固く花弁を閉じて、バタンと水面に身を投げ出して沈んで行った。
29日、6時40分思いがけなく七つ目の睡蓮が九分咲き。花はやや小さく昼には閉じてしまった。

夏は終わりに近づき、喉の異変もようやく収まって釆た。この夏わたしは喉の痛さと微熱を睡蓮の花に共鳴させていたのだ。